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KIKOERU?
KIKOERU
NIHONGO
VERSION FRANCAISE SACHIKO ISHIKAWA FRANCAIS

 

SACHIKO ISHIKAWA

SACHIKO ISHIKAWA

© Peebee Photographie

ダニエルきみの考えを聞きたいのだけれど…踊るということはどういうこと? あるいはもっと言えば、踊らないということはどういうこと?

さちこ私にとっては、踊るということはある意味、呼吸するのとおなじようなもの。だから踊らないということは、呼吸しないようなものかな。東京で10年近く会社員生活をしていたとき、毎朝早く飛び起きて5分間で身支度をして仕事に出かけ、晩の8時まで働くのはほとんど常で、しばしば10時まで、時には夜中の12時まで働き最終電車で家に帰る。私の場合は夏が仕事のピークだったので夏休みも1週間さえとれず。そして仕事のほかは職場環境に適応すべくの同僚たちとのコミュニケーションで、それだけで毎日が過ぎてゆく、そんな日々の繰り返しでした。

ダニエルそれが、踊らないということだね。つまり、呼吸をしていないという。そのあたり、もう少し突きつめて聞いてみたいのだけれど、そんな呼吸不全の状態でも、それでも我々のどこか奥底では呼吸らしきものが少しはできるものなのだろうか?

さちこ私は窒息しそうでした。自分を十分に消しきるというか…殺しきることができなかったからなのかなと思います。自分の中の何かが、そこから脱したいと叫んでいました。ある意味、狂気に近かったかも。

ダニエルで、きみはそれでもその仕事を10年続けていたんだね。舞踏の踊り手になる前に。

さちこはい。でも正確にいうと、そのもっと前から演劇をしていました。高校時代からです。今では舞踏ダンサーですが、それはその演劇経験からの流れです。

SACHIKO ISHIKAWA

ダニエル子ども時代から思い返してみるに、どんなことがきっかけで芸術の世界に駆り立てられたのだろう? 家族にだれかアーチストはいたのかな ?

さちこいいえ、いませんでした。けれど母はときどき草花の絵を描いていました。私も6~7歳のころによく絵を描いていました。それから、歌うのも好きでした。母もまた、家事をしながらよく歌っていました。いい加減なもので、歌詞もメロディーも思いつくままに替えていましたが。(笑)

ダニエルお母さんの影響を受けたと思う?
さちこ:それは確かですね。いまでも、心身の調子が悪くなったときに、ああ、最近歌ってなかった、と気づくことが往々にしてあります。歌えば調子が良くなる! 歌うことは私の生命エネルギーにかかわることなんです。
小学校では、母に勧められてコーラスを始めました。

それから演劇ですが、中学生の時に、声優になりたいと思い立ったのが始まりでした。テレビのアニメ番組などの。そしたら同じく声優志望の友だちが声優教室の案内をもってきたので、それに行きたいと母に話したら、ダメだと。そんな得体のしれないところに行くより、本当に声優になりたいんだったら、まずは高校に入ったら演劇部にでも入りなさい!って。(笑)

ダニエルはじめは声だけを使うというつもりだったのが、演劇をすることで身体を動かし始めたということなのかな。

さちこそうですね。身体を動かすこと自体は子どもの時から好きでしたが、対人関係では私はけっこう内気なたちだったんです。だから、演劇で舞台に立とうなんてちょっと気後れしそうでしたが、この演劇部が小さいながら和やかで居心地がよく、慣れ親しんでいくうちに少しずつ演劇というものに魅力を感じるようになり、そうして二年間は高校で演劇をしていました。そしてその後大学を選ばなくてはならなくなった時に、演劇サークルがたくさんある大学を選んだんです。

SACHIKO ISHIKAWA

© Peebee Photographie

ダニエルちょっとひとつ知りたいのだけれど。“演劇”というと、もちろん身体表現の要素もあるけれど、それよりも思想とか観念的なものもある。きみがしていたのはどんな演劇だったのだろう? 西洋演劇?

さちこ高校の演劇部はほんの数人でのこじんまりとしたシンプルなものでしたが、大学ではたくさんの劇団やサークルがありました。いきなりたくさんの選択肢ができたのですが、ちょうど浪人中に友人の家族に誘われて見に行ったミュージカル『レ・ミゼラブル』に強烈に感銘を受けていて、まずは、ミュージカル研究会に入りました。

当時二年間くらい、いくつかの劇団をまわってみましたが、どうもこれというものがなく、私はいったいどんな演劇を求めているのだろうかと探る日々でした。
そんなこんなで過ごすうちに、とある演劇集団に出会いました。主宰者はもうとっくの昔に学生ではなくなっていた人ですが、大学の建物内の奥まった片隅でひっそりと活動を続けていたんです。(笑) そこでの舞台は、いわゆるストーリーというものがなく、身体/肉体の動きによる断片的なシーンがいくつか連なって構成されるといった抽象的なものでした。演者たちがなにかを言うことはありましたが、セリフというよりも‶声″。ちゃんと言葉であるときもありましたが、でもそれは‶セリフを言う″というものではなく、いわば‶肉体から発せられた声″で、そんな舞台に、私はなにか本物を感じたんです。私が求めていた、あるひとつの‶真実″に出会えたというような。

ダニエルその演劇グループで、反逆や怒りの感情のようなものを経験したのですか?

さちこそうですね。そこでは‶演劇″といっていましたが、私にとっての最初の強烈な舞踏体験はそのグループの活動を通してでした。ある晩の稽古で、身体がひとりでに動き出したんです。床をのたうち回り、そこにあった椅子を蹴っ飛ばし、泣き喚きさえ。それでいて頭のほうは冷静で、自分の身体のしていることに少々驚きながらも、すぐに事情を呑み込んで、これは大丈夫だと身体のするままにさせつつ成り行きを見守っていました。いざとなったら体の向きを変えるとか止めさせることができるというのも感覚的にはっきりわかりましたし。心配そうな同情の面持ちで寄ってきた女性の顔を撫で繰りまわしたりという場面もあり、そのあと立ち上がってからもまた他の人相手に興味深い展開がありました。

ダニエルその演劇グループで、日本の社会についての議論などはありましたか? 他の多くの人たちとはちがった考えをもっていたりとか?

さちこ主宰者や彼の長年のつきあいのあるメンバーたちはそんな意見をもっていたかと思います。が、私たち弟子…というか若い参加者たちの大方は、あまり意見を述べるというのが得意でなかったですね。

SACHIKO ISHIKAWA

ダニエルつまり…、こういう従来の規範を覆すような自由な表現をめざすようになったのは、社会のなんらかの作用に追い立てられてのことだったのかな…? あるいは、家族の影響?

さちこ私にとっては、そうですね。

ダニエル反逆の手段として? あるいは家族から自分を隔てるための?

さちこ家族への反逆というのはないです。でも…なんらかの必要はあった。あなたの質問はおもしろいですね。というのは、その頃、大学やよそで私と気が合った同年代の若い人たちというのは、だいたいみんな家族になにかしらの問題を抱えている人が多かったんです。

ダニエル舞踏との本当の出会いはいつですか?

さちこその同じ演劇グループのメンバーと一緒に舞踏の公演を見に行ったことがそれです。それは山海塾のメンバーである岩下徹さんのソロ、というか椅子とのデュオ公演で、それに私は‶愛″を見たんです。どこまでも優しく柔らかな愛…。当時の私にはとても感動的な発見でした。
その後、大学を終えてからはとある出版社に就職して、十年ほどそこで働いていました。

ダニエルどうして演劇を続けなかったの?

さちこ大学まで出ておいて定職を得ない道を選ぶという決断ができなかった。安定した収入と、それに親の望みも無意識のうちに影響して。もっとも、親は何も言わなかったんですけど。ただ、この先の人生は自分で責任を持たなければいけないことだけはわかっていた。

ダニエルフランスに初めて来たのは?

さちこ1992年です。当時の舞踏の師匠といっしょに来ました。小さな公演をしました。
それは本当にささやかな公演でしたが、当時まだ会社員生活をしていた私にとっては、パリに来て踊るなんてことは夢みたいなことでした。(笑) とりわけ、日本ではできないような“狂気”というか、外国人と話すにせよ普段の自分ではしないような形で自己表現をし、振る舞うことをできたことが。(笑)

ダニエル僕たちが探しているのはそういったことなのかな。みんなが、っていうことなんだけれども。みんな、自分の“狂気”を表現することが必要なのだろうか?

さちこみんながみんな同じ必要性をもっているかはわからないけれど。自分の“狂気”をある程度日常生活の中で自然に表に出せている人もいれば、それができない人もいる。私はそのできない人のほうだった。

ダニエル“狂気を表に出す”ってどういうこと?

さちこ禁じられた感情やエネルギーを表出するということ。

ダニエル我々には禁じられた感情ってこと? それとも自分に禁じている感情?

さちこそれは…私の場合は、思うのだけれど、自分で禁じてしまったんだと思う。最近、そう思うようになりました。

SACHIKO ISHIKAWA

© Peebee Photographie

ダニエルけど、何を我々は表現しようとしているのかな。“狂気”という言葉を使って、でも本当は狂気なんて何かわからない…。表現というからには何か外に出たがっているものがあるんだろうけれど、それは何なのだろう?

さちこ自然に感情が外に出せて表現できるときは狂気とはいわないけれど、そんな表現が禁じられていると思うような場合にはその感情を心の奥底に押し隠す。それが積み重なって時とともにそのエネルギーが発酵して高ぶって、それが狂気として出てくるのだと思う。

ダニエル狂気というのは結局は感情の爆発ということなのかな?

さちこ爆発っていうほどの目に見える勢いがあるとは限らないけれど。静かに表出される場合もあるだろうし。でも、いずれにしても日常とはちがった現れかたになる。

ダニエルこの狂気を表現するには、舞踏の稽古をすれば十分なのだろうか? それとも舞踏にもまちがった方法というのもあるのかな? いろいろな流儀の舞踏があるけれど、いろいろな形といってもいいかな。つまりその、僕たちのいう狂気なんだけれど、それが外に出ることなんて、形の牢獄に閉じ込められているときに可能なんだろうか?

さちこ形が助けになります。

ダニエル形は牢獄ではない?

さちこでも、身体もそもそも牢獄では? まったくの自由な状態を生きるというのは、かえって難しいものです。制限があるときに、それに反発してそこから出ようとするときにはリスクを冒すというか、挑戦するということができるけれど、まったくの自由な状態にあっては挑戦もなにもあったものではない…。
形についてですが、舞踏の二人の創始者、土方巽(ひじかたたつみ)と大野一雄は、それぞれにほとんど逆のことを言っています。

土方巽は、まず形が先で魂は後に続くという“命が形に追いすがる”と言い、大野一雄は魂が先行して形がついているのだと。初めにこれを聞いたときには、私は何を言っているのかよくわからなかった。まったく逆のことをいっているように見えますが、どこまでもそれで稽古していくと、結局は形と魂が同時に呼応しあって同じことになるのだと今は思っている。そこで、もし形しかなかったならば、それがあなたが先ほど言ったように形に閉じ込められただけになってしまう。

SACHIKO ISHIKAWA

ダニエル芸術家というものには各人、舞踏ダンサーにせよ画家にせよ、ある種の誠実さとか正直さというものがあると思うのだけれど…少なくとも自分自身では正直だと信じていると。で、僕が知りたいのは、踊っているときに、あ、今この瞬間自分は自分に正直でなかった、自分に嘘をついている、と思うことはありますか?

さちこはい、しょっちゅうです!(笑)

ダニエルでも、それはたぶんその瞬間に個人的にそう感じるっていうだけなのだろうね。じゃあ、きみが正直でないときに、仮面をはがすことを可能にさせてくれるものが舞踏のテクニック自体にあるのだろうか。実を言うと観客にしてみれば、舞踏ダンサーは何をしてもいいのか、このダンスは例えばクラシックダンスにとは反対にまったく自由なものなのか、というふうに感じたりもするのだけれど。もちろん、何をしてもいいのだけれど、真摯な舞踏ダンサーとして、やはり何かを探求しているのだと思う。何か、これはちがうぞ、まちがった道だ、ということを舞踏の実践のなかで実践者にささやくものがあるのか。あるいは逆に、いやこれでいいんだ、どこまでもこのままこのイリュージョンのなかで前進して上達してゆけばいいのだと?

そもそも、舞踏に進歩上達というのはあるのかな?

さちこプロになろうとした時点で、舞踏ダンサーにとってはそれは大きな罠です。正直でいられなくなる危険が。自分の踊りがどう見えるかに意識がいきすぎてしまう危険があります。

SACHIKO ISHIKAWA

© Peebee Photographie

ダニエル舞台で踊っている最中に観客のことを完全に忘れられる?

さちこいえ、どの方向から観客の視線がくるかとか、最低限の意識を保つことは必要です。でも、あまり計算しすぎてはいけない。(笑) それから、たとえば観客の中でうっかり知っている人と目が合ってしまったりすると、その相手が私の踊りをどう思うかなんてほうに無意識のうちに頭がいってしまって、とても危険です。(笑)

例えていえば舞台が絵のキャンバスであるとして、常に自分がどんな絵を見せているのかを意識している必要があるのだろうと思う。形にとらわれ過ぎることなく、的確に最低限に。でないと魂の余地がなくなってしまう。身体の各部分に何が起きているかを感じているのが大切。で、感情が沸き上がってきたときには、感情をコントロールしたり操ったりしようとするのではなく、文字通り感情に身を任せる。でもそれも場合によります。完全な即興の踊りであれば原則としては感情を操らないけれども、創られた作品であると、そういうわけにはなかなかいかない。

ダニエル“内なる子ども”について、どう思いますか?

さちこ私にとってはとても大切なことです。舞踏家がみんなそうかどうかはわかりませんけれど、他の舞踏家にも同じような気持ちの方がいることは確かです。私の“内なる子ども”は。3、4歳か5歳くらいまで。小さな子どもです。私の子ども時代の経験にもちろんつながっています。

ダニエル“内なる子ども”について語るとき、そういうふうに自分自身の実際にあって経験した子ども時代とのつながりを取り戻そうというものが多いけれど、僕が想うのはちょっとそれとは違うんだ。自分の子ども時代を取り戻すのではなくて、その逆。未来に向かって、僕たち自身の子どもを産むっていうか。僕たちの知らない子ども。将来、自分たちがなる子どもにつながることができると信じたいんだ…。

さちこ私の子ども時代は幸せでした。だから自分の子ども時代とのつながりを感じるときは、私は安定していて、よい状態にいます。でも、よい子ども時代を持ち得なかった人は、私と同じような感覚ではないようですね。彼らにとっては、自分の子ども時代とはもう一つちがった出会い方が必要なように思いますが…。

SACHIKO ISHIKAWA

ダニエル我々の奥底には、この道を進めよと我々に問いかけるものがあるだろうか?

さちこ人はひとりひとりちがいますから…。

ダニエルそうだけれど、この“内なる声”は我々ひとりひとりの心の奥底に、同じようにあると思うかどうか聞きたいんだ。舞踏ではそんなこと話したことないのかな?

さちこ探求しようとしない人は舞踏をしになんて来ないでしょうね。(笑)

ダニエルじゃあ、舞踏はその答えに辿り着く助けになるということだね。だけど、それは舞踏だけでなくどのダンスにもいえることなのかな。

さちこそう思いますけど、実際のところどうなのかは私にはわかりません。

ダニエル舞踏の訓練のなかに、絶望させるというようなことはありますか? 何か、あなたを悲しくさせるというような。

さちこ私は大野一雄先生と大野慶人先生の稽古場で学びました。一雄先生は二度の大戦を経験していますが、そのことを多くは語りません。慶人先生が話してくれたことですが、戦時が終わって最後にニューギニアから船に何千人とすし詰めにされて戻るときに、途中で死んだ兵士たちを海に水葬にするのに一雄先生は立ち会ったそうです。大海原に沈んでゆく亡骸を見送りながら、クラゲを思ったと。その記憶から、日本に戻って一雄先生は作品「クラゲの踊り」をつくったらしい。
慶人先生も、痛みをテーマとして踊ります。痛みを分かち合う方法として。

今日、私たちはここにいて、このインタヴューをしていますけれど、私たちだけがここにいるわけではありません。私の源をたどれば私の先祖がいるし、彼らの生きた物語があるわけです。私は今ここにいるけれど、それも全部、そんな大勢の人たちの歴史からきているわけです。

慶人先生の稽古で、歩くというのをやります。特に方向も定めず、ひとりひとりが、歩を進める。で、慶人先生が言うには、地面に亡くなった人々の遺体が横たわっていると。あっちにもこっちにも、そこらじゅう一帯に。過去の歴史から累々と積み重なり連なった多くの生と死。私たちは、その亡骸の上を歩いているのです。もちろんそれは陰惨に重苦しくなるための稽古ではなくて、ある種の昇華を目指すものと思っていますが。なにより大切なのは、地球規模での意識をもつということです。

舞踏は、絶望的なものを目指しているわけではありません。どんな感情だって舞踏にはあります。光もあります。喜びや人生におけるさまざまな美しいこと、童心…。

この原っぱに咲いているタンポポのようにだってなれます。日の光を浴びて、健やかにゆったりと花開き、きれいな色で私たちの目を喜ばせてくれる、この花々に…。

SACHIKO ISHIKAWA ET THIERRY CASTEL

インタヴュー:石川さちこ(舞踏ダンサー201742 ランティリー文化公園にて

SACHIKO ISHIKAWA

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