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REN YASHIO
八潮れん(詩人)インタビュー
パリ、ベルヴィルにて。2015年5月

................REN YASHIO

ダニエル お生まれは日本のどちらですか?

八潮れん 長野県長野市です。

ダニエル あなたの幼年期から今までのことをお聞きしたいのですが。書くまでの道のりはどのようでしたか? 学生の頃すでに今日のご自分の生き方を彷彿させる何かの兆しはあったのでしょうか?

八潮れん 16歳のときランボーの詩集を翻訳で読んだこと、その出会いが書くことへの願望やフランス文化への興味をもたらしたのだと思います。

その後2012年に語学が堪能で美術や文学に造詣の深いフランス人女性オルファ· ベルーマと偶然東京で出会い、彼女と一緒に自作の仏訳をするという素晴らしい機会に恵まれました。翻訳を得た自信は私に日本やフランスで詩的パフォーマンスを行うという行動力を与えてくれました。オルファが世界を広げてくれたと言えるのです。彼女との出会いは絶大でした。

ダニエル もっとさかのぼって、幼いころのお話をお聞きしたいのですが……

八潮れん 父は詩を書いていて、父の曽祖父は俳句をやっていました。母も本好きでした。少女の頃、特に十代の頃は、気難しくエゴイストで神経質な父に抑圧されていると感じていましたね。あるがままの自分を愛してほしかったのですが、叶いませんでした。その抑圧は様々な人間関係からの強迫観念とともに、私の無意識に降り積もっていき、その混沌としたエネルギーがついにポエジーを見出すに至ったと私には思えるのです。

たぶん深部に愛への渇望を封じ込めてしまったのでしょう。内に秘めたものを激しく表出させることとなるランボーの詩との出会いまで。

私にとって自我の目覚めはランボーの詩集だったのです。

REN YASHIO PERFORM

ダニエル ご家族はあなたの新たな生き方を想像していたでしょうか?

八潮れん さきほど述べたように父は詩を書いていたので、私がランボーに出会ったことを喜んでくれました。

私は詩のことについて家族とは話をしません。家族は私をそれなりに支えてくれましたが、詩作は独りでする作業ですからね。

ダニエル 私は個人と大都市との関係についてとても興味があります。東京であれ、あなたが今住んでいる横浜、あるいはパリであれ、どのようにその街があなたの表現に影響を与えているでしょうか? 東京はあなたにとって詩的な街ですか?

八潮れん そうであるともないとも言えます。思うに創造的なものを目指す人の多くはここでないどこかを常に求めているのではないでしょうか。 ある意味東京は私にとって詩的な街です、なぜなら私に内省を強いるし、皮肉に私を触発してくれるからです。(笑)

ダニエル しかしその街があなたを混乱させるとしても、創作や表現の役に立っているのではありませんか? あなたはよく東京の街角を散策されますか?

八潮れん いいえあまりしませんね。どちらかというと家で夢想している。(笑) でもとにかく都会の方が好きです。面白い人たちに出会えることもあるし。田舎の人間関係はあまり好きじゃないのです。

REN YASHIO PERFORM

ダニエル ですがなにもないところから本当に夢想することができるのでしょうか?なにか素材が必要です……

八潮れん 私が言いたいのは、社会に翻弄されながらも自分の美学を探求していきたいということです。

私たちの中には幾つもの存在があると思うのです。私の場合なら、詩作する者、その詩的世界を生きる者、日常の務めを果たす者、あるいはまだ見知らぬ自分などなど。

ダニエル もし私たちの内面で幾人もの人格が共存しているのであれば、それを生きることは容易いのでしょうか?

八潮れん いいえ、簡単ではないと思います。アルベール・カミュは創作することは2度生きることだと言っています。ある種の人たちにとっては複数の人物を生きることができるのです。私の場合は、そうすることで世界に対して様々な眼差しを持つことができる。当たり前の暮らしがあることはありがたいです、ですがともかくも私の奥底には何者かがいるのです。私たちは違う次元をその時々同時に生きているだと思っています、たとえ意識できなくても。

なぜだかわからないのですが、私は整然とした、とても完璧なものと思われるものには体が反応しないのです。生身の体なしにはその本質も探ることはできないなどと、聞いたような台詞を吐きながら突起物につまずく。でソレに依存していく。なぜ私はソレがわかると言いたいのか?

とうてい克服できないという漠とした思いにかられて、濁った言語を行きつつ戻りつつしながら、ソレの気配に蒼然としてみたくなります。茶番だろうがなんだろうが、そんなことはどうでもよくなって、意志は矛盾に満ちて動き回り、「果たせた」と思わせる瞬間の体験に私は秩序を求めている、そう思うのです。

ダニエル 「ソレ」の背後に隠されているものはなんですか?

八潮れん 私の存在の中にある詩の力です。

REN YASHIO PERFORM

ダニエル あなたの通常の生活はつまり日常にあるのですよね。私が驚くのはあなたの日常生活は詩的ではないというところなのです。違いますか?

八潮れん 詩的な生き方をどのように定義なさいますか? 難しいです。

ダニエル そうですね、定義は簡単ではありません。でもそれこそが私の関心事なのです。

あなたの創作に影響を及ぼすものはやはりあなたの周りにあるもの、外側や日常からやってくるものでは?

八潮れん そうかもしれませんが、でもちょっとニュアンスが違う気がします。本当を言えば、日常と内面生活の境が分からない。(笑)

ダニエル 詩のエクリテュールには読みことへの思いを広げていく力があると思いますか? あなたの詩を読むと、その言葉は私の中に様々なイメージを運んできます、様々なものが提起され、様々な反応を引き起こし、問いを投げかけます。読んだ後と読む前の自分とは確実に違っている。

八潮れん 本当にそうですね。すべてのエクリテュールの形は読む人に様々な変化をもたらします。

ダニエル それがあなたの意図するところですか? あなたはご自分に向けて書いている、それとも他の人に向けて?

八潮れん 初めは自分でしたが、今はそう思っていません。でも他の人に向けてというのではないのです。私の無意識において何かに書かされているというか。

ダニエル 朗読やパフォーマンスに集まった人たちの話をしましょうか、あなたの朗読を聞いての彼らの感想は?

八潮れん ある種のエロティスムがあると言われます。といっても今は特別に性的なテーマで書いているわけではありません。私にとっては言葉そのものが生命力に満ちたエロティックなものなのです。

REN YASHIO PERFORM

ダニエル 書くことであなたを息づかせる、それは東京同様、パリでも? パリの街はあなたのインスピレーションに多くの影響を及ばしているでしょうか?

八潮れん はい、滞在中はたくさんのことを様々に感じます。ただすぐには言葉にならないですね。 書き始めるのは帰国してからです。

ダニエル つまりあなたのインスピレーションは外側の影響で培われているということになります。

八潮れん そうですね、あなたの言うとおりです。でもそれでもちょっと違うのです。リアリティーの問題ですね。私は詩情を感じたり、詩作をしていないと生きている実感が持てませんから。私はパリに来ていますけれど、内面に私のパリを創っている。勿論今の、実際のパリにも関心はありますが、それとは違う。例えば私はフランス語をコミュニケーションの道具として学んでいます。それは大事なことです。でも私の興味はもっと違うところであります。私の知的世界はフランス語やフランス文学につながっていて(なぜだかわからないのですが、今でもまだそれに取り憑かれたままです。笑) これらの境界を失くして私の中で1つにする必要があったのですね。

笑われるかもしれませんが、私にとってフランス語やフランス文学はフェティッシュのようなもの、あるいは文学の原体験のようなものなのです。それはとても強く内包されていたので、表現する必要が、外に出す必要があったのです。

パリに対しての私の思いは激しい恋情にも似ています。私の知への興味はいつも愛に偏りがち。愛がないと知も刺激されないからです。(笑)

ダニエル さて数年前から同じテーマでやってきて、ここでぜひそのことについて話し合ってみたいのですが。私はそのテーマを「かけがえのない夢」と名付けましたが、便宜上そうしたまでで、別の言い方でもまったく構いません。名称は大したことではありません。 あなたがフェティッシュと言われたのを聞いて、私たちはもしかして同じこと、同じコンセプトで話しをしているのでないかと思ったのです。あなたは人は各々心の底に「かけがえのない夢」つまり使命のように、人生の課題をやりとげるべき何かをもっていると思いますか?

八潮れん それがただ1つだけの夢という意味なのかどうか分かりませんが、人は自分にはまだ現れていない物事に強く執着し、そういう思考が各々の世界を創っていると私は思うのです。

.................REN YASHIO

ダニエル まだ現れていないものに執着する……それはつまり欲望ということですか?

八潮れん 欲望にはいろんな意味がありますね。

ダニエル ただ深部にはもっとさらに本質的な何かがあるのでは? 私が夢と呼ぶのはこのことなのです、私たちの意識の及ばない、どんなイメージも投げ返さない、欲望も引き起こさないもの。

八潮れん あなたの使っている夢という言葉は私が先に言ったフェティッシュ、あるいは人が無意識に求めている理想のことだと考えられますか?

ダニエル わかりません。でもそうかもしれません。 あなたはフランス語やフランス文学、ご自分の詩的世界についてお話されました。それらすべてがあなたを生き生きさせているように思うし、あなたの「夢」であるのではないかと……私が夢と呼ぶのは未来向かって私たちを押しだすもの、決して到達できない、私たちからとても遠いところにある、そのようなものだと思える。

八潮れん 混沌という概念のようなものですか?

ダニエル おそらく。私たちはたびたび「内面のささやき」について話をしています。しかもそのささやきはほとんど聞くことがない。何かが私たちに話しかけようとしていても、私たちの内部は騒音、つまり欲望だらけ。

八潮れん 多くの人が欲望を夢だと思っている。

ダニエル ええ、そうですね。さてそれでは我々の見解が一致したところで、ご意見を伺いたいです、つまり人は各々欲望の内に隠された「かけがえのないの夢」をさらなる深部にもっているとお考えですか?

八潮れん はい、ただしそれには時の移り変わりが大きく作用するのでは。表面的と思われることは時間と共に変化していきますが、根底には変わらないものもある。夢に向かって歩こうとしているのは我々ではなく、夢に向かって我々を押しだす無意識なのかもしれません。どうでしょうか?

ダニエル つまりそれは起こるべくして起こる何かですか? 私たちは自ら決定できないのでしょうか?

八潮れん その夢に自覚的になれば出来るでしょう。

ダニエル おもしろいですね。私たちは話し得ない難解なことを話そうとしている。

八潮れん 哲学ですね。

ダニエル いえ、哲学は好きではない。むしろすべてがきわめて具体的なままである方がいいです。それではもう一つとてもシンプルな質問を。日常生活において自分の内面と関わっていく最良の方法はなんでしょうか?

八潮れん 私はどちらかといえば関わりすぎてしまって。それでよく夢見がちになる。
(笑) でもとにかく私にとって哲学は自分の生き方をよりクリア―にさせてくれます。

世の中には自分の目の前にある実生活が唯一本当の人生なのだと思っている人がいますが、 もっと密度の高い、妥協のない生き方を求めずにはいられない、例えば芸術家のような人たちもいます。もし私たちがその存在の全体を私たちなりに生きることができれば、「夢」と繋がり続けていけるでしょう。日常を純化するべきです。実人生と内面を同時にしっかり生きることです。かなり難しいことですが。

ダニエル 実人生と内面を分けない、つまり2つの間に橋をかけるということですか?

八潮れん というか、もともと別々ではないから、橋はあってないようものです。絶えず勝手に動いているその人の魂の在り方(意識、言語、身体)に自覚的になればいいということです。

.................REN YASHIO

ダニエル 最後の質問になりました。あなたのエクリテュールにおいて、今後何を変えてみたいですか? 今何が気にかかっているのでしょう?

八潮れん すべてが満足のいくものではないと言えます。ただともかく、たとえ本当に何も気に入らないとしても、このエクリテュールは今の私そのもの、ですからこの不満足はポジティブなものだと思っています。

ダニエル ありがとうございました。

REN YASHIO AND SACHIKO ISHIKAWA

Photo all rights reserved Ren Yashio except © Ryoichi Aratani.

REN YASHIO POETRY 詩 (フランス語、日本語 )



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