YURI NAGAOKA et SEISAKU
UNE INTERVIEW EXCLUSIVE
réalisée par daNIel le 22/07/2014 à Ikebukuro à Tokyo.

TRADUCTION JAPONAISE : MIKI IIDA

YURI NAGAOKA AND SEISAKU

ダニエル子供のころの記憶の糸をたどってみて下さい。どんなささやかな瞬間でも構いません。今日のあなたの生き方の発端となったような出来事はありますか?

ゆり私は7歳の時、自分でお芝居を創り、シーツで部屋を区切ったりして、両親の前でささやかな劇をしたことを覚えています。

正朔:私は実家が美容院だったんです。お店にはお客さんやお弟子さんや沢山の人達がいました。子供だからと外に出された時は2階に行き、美容院から聞こえる様々な音に耳を澄ましていました。彼らはすぐ下で喧噪のただ中にいるけれど、自分はその音を一人聞いている、というのが当時抱いていた感覚です。私にとってそれはとても心地いい感覚だったんです。

ダニエル:その思い出と今日の生き方とがどのような関係があるのか、もう少し詳しく教えていただけませんか?

正朔:美容院があって、その中で忙しく働いている人たちがいて、私はすぐ近くにいながら一人床に耳をあててその音を聴いていました。床一枚をへだてて、私は隣の世界に参加しているような感覚でした。私が今居る静かな世界と喧噪があり、同じ瞬間に2つの世界を行ったり来たりしているような感覚だったんです。

ダニエル:子供時代の思い出は強力で、他の道を選ぶという選択肢はありませんでしたか?

ゆり:子供の頃私は引っ込み思案で、コミュニケーションをとるのが苦手だったんです。でも、結婚前にモダンバレエをやっていた母が、お芝居や民族舞踊などの様々な舞台に連れて行ってくれたお陰で舞台に興味を持ち、踊りをやってみたいと思いました。それから母がバレエをしてみたらと提案してくれ、引っ込み思案を克服できるようになったんです。ダンサーとして他の人物を演じることで、まさに自分も別人になれたというわけです。

ダニエル:ゆりさんはアーティストとしての道を歩むことについて、ご両親との確執はありましたか?

ゆり:全くありませんでした。母は前述の通り舞台好きですし、父も鍼灸師として生活していますが、詩や小説を書いて本も出していますから、芸術には理解があるんです。

YURI NAGAOKA

...................................................(waiting for the moon)..Photos © Makoto Onozuka

ダニエル:正朔さんはいかがでしょうか?

正朔:私は子供の頃からずっと、目の前にある1つの世界だけでなく、今見ているものとは違う世界があるのでは、という感覚を抱いてきました。目の前の世界を見ながら、その見せかけの向こうにまた違う世界があるのではと・・・とはいえ、どう表現したらいいのかわからなかったのですが、舞踏に出会ってそれができるようになったんです。

ダニエル:もう1つの世界・・・とても興味深いですね。ところで一般的に、アーティストというのは他の人たちより自由だと思われますか?

正朔:それはもちろん各アーティストによると思いますが、私にとっての自由の概念は、一般的な概念とは少し違います。私はどちらかというと厳しくて困難な道を歩むのが好きなんです。私にとっての自由というのは一番厳しい道を進むことなんです。

ダニエル:それは困難が必要だということですか?

正朔:困難な状況が新たな自分を発見させてくれることが往々にしてあるものです。それが私の喜びなんです。

ダニエル:別の自分ですか・・・我々は自身の奥に数えきれない他の人格を発見できるのでしょうか?終わりがないということでしょうか?

正朔:迷路みたいなものですね。沢山の道があるというわけです。

ダニエル:でもそのどこかに中心的人格というのがあるんでしょうか?

ゆり:このテーマについて深めていくなら舞踏の哲学を説明した方がよさそうですね。

正朔:舞踏の根源にあるのは身体を「空にする」ということです。舞踏の教室で学ぶことはまさにそれなんです。自分自身を空にすることができれば、私たちの身体を通して他の人物を表すことができるのです。

ダニエル:他の人物を表現するために空になる・・・それは何かに執着しないということですか?

正朔:舞踏の精神において空になることは非常に重要です。空になることはこの世界に生きるもの、例えば植物や人間たちと調和していくために一番大事なことなんです。もし私たちの身体が自分なりの世界観に凝り固まってしまっていたら、世界をきちんと受け入れて理解することはできません。舞踏において私たちは無垢な状態になります。これは知的な行為というより、初心者の状態、初めて出会う感動がある状態になることです。

SEISAKU

......................................................................(coming home)..Photos © Makoto Onozuka

ダニエル:ゆりさんはアーティストは他の人たちに比べてより自由だと思われますか?

ゆり:それは日常生活においてですか?それとも精神面ででしょうか?

ダニエル:特に分けてはいないんですが・・・

ゆり:それはもちろん人によると思います。アーティストが自身のアートで、生きていくのに充分なお金を稼げないとしたら、自由にはなれないと思います。私の場合は鍼灸師としての仕事があるので舞踏の方は自由に踊ることができるんです。

ダニエル:つまり、自由というのは物質的生活によるとうことですか?

ゆり:全ては価値観の問題で、各自がどれくらいで満たされていると思うかによるでしょう。私の場合は家賃が払え、食料が買えればまあ満足と言えますが、車や家を買う必要があるという人もいますしね。

ダニエル:でもそれは、自由というのはいつも物質的豊かさと関係があるということですね。

ゆり:そう思いますよ。

ダニエル:私たちの自由の定義は同じなんでしょうか?お二方は自由な人はどんな人だとイメージしていますか?

ゆり:自分が自分を自由だと思えばもうすでに自由なのよ!

ダニエル:その考えは素敵ですね(笑)

正朔:自分を不自由にしているのは自分自身だってこともよくあります。

ダニエル:お二人は観客の前で舞踏をする時、どんな意図で踊られるのですか?

ゆり:私は観客に、人間のまた違う在り方があるんだということに気づいてほしいと思っています。それは一人きりだと理解するのはなかなか難しいんですが、踊りや共有できる経験によって近づくことができる深い世界です。私は一般の人たちに、この豊かな世界の存在に気づいてもらう手伝いができたらと思っています。

正朔:一般的には観客がダンサーを見ていると思われがちですが、私が踊るときは私もまた観客を観ているのです。私がもし充分に空になっていれば、私の身体を私を観ている人たちの世界で観たし、踊りを通して彼ら自身を表現することができるのです。お客さんと1つの世界になったとき、彼らは私を観ているようで実は自分自身を眺めていることになるのです。

ゆり:舞台全体が1つの身体となって、ダンサーと観客が身体の一部分になるわけです。

ダニエル:観客もお二人と同じことを感じているのでしょうか?

正朔:無意識の世界では同じことを感じているといえますね。だんだん呼吸がピタッと合ってくるんですよ。

ダニエル:ところで今日の舞踏は、60〜70年代の舞踏と比べて何か変わりましたか?

ゆり:現在では非常に様々なスタイルがあります。ソロのダンサーも多いですし、沢山の講師が個人的なスタイルを発展させています。今日の舞踏は、全体としてのコンセンサスもなければ特に対話もありません。

ダニエル:形は違うとはいえ、まだ共通している精神というのはあるのでは?

ゆり:残念ながらあまり理解はないですね・・・

YURI NAGAOKA

...........................................................(waiting for the moon).Photos © Makoto Onozuka

ダニエル:今日舞踏はヨーロッパで発展をとげ、もちろんフランスでも評価されていますが日本ではいかがですか?

ゆり:日本では舞踏は人気ないですよ(笑)。

正朔:他のダンスと舞踏の大きな違いは、舞踏の本質が空の表現だということです。もともとの舞踏は空の踊りのようなもので、様々なスタイルの踊りでした。だから誰も舞踏の多様なスタイルをリストアップできなかったんです。これが今日との大きな違いです。一番大切なのは舞踏の精神だったのです。舞踏のダンサーが自身を空にできたとき、彼の身体は周りの世界を映し出す1つの手段となります。自身の重要性を空にした身体は、彼のまわりの雰囲気や感情を表す媒体となるのです。舞踏の精神においてはダンサー自身というのはあまり重要ではないのです。今日では多くのダンサーが、彼ら独自のスタイルを観客に見せるのを好んでいますが、それは舞踏の哲学とは対極にあるもの
です。

ダニエル:お二方が踊られるときは、振り付けにそって踊るんですか?それとも即興でしょうか?

ゆり:2つともありますよ。でも個人的には即興の方が好きです。

SEISAKU

.....................................................(Memory of sunshine).Photos © Makoto Onozuka

ダニエル:踊りが始めから決まっていても、踊り手は踊りに自由を見いだせるものですか?

ゆり:私は踊りながら次の自分の動きを決めています。その方が一番いい踊りを見出すことができるという自信があるからです。

正朔:私の場合はちょっと違います。私は実は振り付けに沿う方が好きなんですが、必要を感じたときは修正します。何も考えないようにして即興するダンサーもいますが、そうしたダンスは次第に似たようなパターンの踊りになりがちです。彼らは毎回同じようなことを繰り返しながら踊っているのです。でも彼らは舞踏の意味では空になっているとはいえません。自分が空の状態ではスタイルを形成しえないからです。

ゆり:私は振り付けで踊ることもありますが、つい忘れてしまうんです(笑)

正朔:私にとって振り付けで踊るというのはとても難しい練習です。全部を覚えるのが大変なんです。そしてすぐ自分に対する自信を失います。でもそれは私にとって大切な感覚です。舞踏においては不安定で感じやすくなるのがとても大事なことなんです。

ダニエル:よくわかります。でもその不安定な状態には恐れや不安はないのですか?

正朔:考えがないので、不安というのも考えの中にありません。というものの、不安はありますが、頭の中にではないんです。すみません、言葉にするのが難しくて。

全員:笑

正朔:振り付けが難しいと身体はとても敏感になるものです。身体は即座に反応できる状態でなくてはなりません。例えば紙に火が着いた時、たちまちボッと燃えるでしょう。こういうイメージで舞踏というものを学んだんです。踊る時、何らかの舞踏のイメージを抱いて踊る舞踏家が沢山いますが、イメージから離れ、イメージを手放した方がいいんです。身体に意識を傾け、身体自身の観念を自由に表現させるんです。

ダニエル:お二人は、人は人生において実現すべき1つの夢というのがあると思われますか?使命という言葉はあまり好きではないんですが、ただ1つだけの夢、天命といいますか・・・

ゆり:あると思います。でもその道を見つけるためには反応ができ、耳を傾けることのできる鋭敏な身体が必要です。けれども誰もが生まれてから社会に適応していくために、身体に沢山の制限をかけているのが問題なんです。こうしたリミットを取り除くことで、本当の自分の感性を開くことができるのです。

YURI NAGAOKA

....................................................................(orange ash) Photos © Makoto Onozuka

ダニエル:これが最後の質問です。もし私たちが夢に近づくことのできる非常に簡単なエクササイズをするとしたら、どんなことができるでしょう?街を歩いている人たち、アーティストであってもなくても、誰にでもできるような、夢に近づくためのエクササイズはあると思われますか?

ゆり:まずリラックスして笑うことね。

ダニエル:笑うこと・・・おそれくそれが一番シンプルなものですね。
舞踏の舞台を観たあと、観客一人一人が自分の心の奥や頭の中に、友人や家族に語る何かを持ち帰るべきだと思うのですが、それは一体何だと思われますか?

ゆり:良くも悪くも違和感だと思います。なんだか分からないけど気持ちが悪い、あるいは気持ちが良いでもいいのです。普段自分を覆っている殻に穴が開いてそこから奇妙な感情なり感覚なりが連なって出てくる。それは一体何かを考えることで観客の方々が新たな世界を見出すことを願っています。

正朔:私にとっては、舞踏の舞台を観た後持ち帰るものというのは、自分も生きていて自己表現でき、何か言うべきことのある身体を持っているのだ、と気付くことだと思います。身体が自由になった、身体が喜んでいるという感覚、それが観客が最後に受け取るものではないでしょうか。私としては自分の踊りでそれを提供したいと思っています。私は舞踏というのは特別な踊りではなく、自然な動きを表現したもの、日々の生活においてみることのできる動きなのだと主張したいのです。例えば好きな絵画に見入っている時、私たちの身体は空になり、自分全体が「観る」という行為になっているのです。私たちの身体も「その絵になっている」状態なのです。つまり普通の人は舞踏を知らずに普段からそういう動きをしているというわけです。

Photos © Makoto Onozuka All Rights Reserved

(photo 1 Award ceremony of Japan dance critic association).

Japanese Translation : Miki IIDA

 

SEISAKU

........................................................(memory of sunshine).Photos © Makoto Onozuka

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