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BRUNO QUINQUET
UNE INTERVIEW EXCLUSIVE réalisée le 08/09/2009 dans le jardin Hibiya Koen à Tokyo.

Traduction japonaise : Harumi SUZUKI

日比谷公園に広がる木陰は9月の湿っぽい陽気を少しだけ忘れさせる。人々はベンチで寝転がり、騒々しいセミの鳴き声を子守唄に昼寝を続ける。
東京で活動を続けるフランス人写真家、ブルーノ・カンケと出会った。

BRUNO QUINQUET

ダニエル(以下Daniel):東京にはどんな経緯で来たの?

ブルーノ(以下Bruno):日本に初めて来たのは2001年で、最初は単なる旅行。その後何度か繰り返し来るようになった。同時に日本語も学び始めた。レコーディングエンジニアとしてパリで働いていた会社で日本語を学ぶ機会があったんだ。東京には2005年から住んでいる。

Daniel :でも2001年より前に、日本はすでに君の人生に存在していたんじゃないの?

Bruno:そうだね。まずはパリで出会った友人でその後僕の恋人になった日本人男性がいる。それから、明治時代(1868年~1912年)日本に8年間住んでいた先祖がいるんだ。彼はフランスで燈台やブイを扱う仕事をしてて、明治時代に日本が鎖国を解いた時に呼ばれて、東京湾に近い横須賀海軍施設で軍の宿泊施設を設置する仕事をしてたんだ。同時に彼が滞在していた地方に燈台を4つ作ったらしい。

Daniel:君の曾お祖父さん?

Bruno:そのまた1世代前の曾々お祖父さん。でもこの話は僕が日本に行ってから興味を持っただけで、きっかけだったとは言えない。でもまぁ、自分の中にもともとあった何かと繋がったと言えないこともないけどね。

Daniel:君は写真家?ちょっと説明して欲しいんだけど。

Bruno:そうだね、僕の精神は写真で出来てる。写真は随分遅くに始めたんだけど、始めてすぐに僕には写真の天性があるって感じた。音楽をやってた頃には感じなかった天性さ!僕にとって、映像の世界は音楽の世界にいる時よりも不安が少ない。

Daniel:何か明らかなものに導かれて自分の道を見つけたってわけだね。君の作品にはすごく強いものを感じるんだけど…ほら、シリーズ作品の「サラリーマンプロジェクト」があるでしょ。作品では、風景の一端とか人間の身体の一部しか見えなくて、全体が見えるって事が絶対にないよね。例えばカーテンの後ろに写る人とか、窓の向こう側を通り過ぎる人々とか…僕らが普段目にしている動きや軌道…。作品を見てると、君って一般の写真家よりもさらに不動な存在なんじゃないかって思う(笑)。作品に登場するサラリーマンたちは、君にとって何か不安を感じさせる存在?

Bruno:違うよ。不安はない。僕がこのシリーズ作品で特に表現したかったのは、彼らはロボットじゃないし、みんな同じじゃないって事。社会批評をしたかったわけじゃないんだ。都市で働く人々を純粋に撮ってみたかった、どちらかと言えばそんな感じ。

Daniel:サラリーマンたちと君の間には何か繋がりはある?それともその逆で、君自身と彼らは遠く欠け離れた存在?

Bruno:いい質問だね(笑)。日本に着いて、僕が一番最初に新鮮に感じたのはね、ネクタイを締めたサラリーマンがものすごい数で電車内に溢れていることだった。そして街の開発が、てんでバラバラなやり方(笑)で行われてる事。近代建築もあるけど、なにせ散漫だし(笑)、本当の意味で都市化されているとは言えない。最初見た時は「うわ~最悪!」って思っちゃったくらい。でも今はそれも1つの良さかなって思えるようになってきた。

Daniel:僕は、その混沌さの中にどこにもないハーモニーを見るけどね。

Bruno:ハーモニーの話が出来るかどうか判らないけど、とにかく今は観察する喜びは感じるようになったって感じかな!

SALARYMAN PROJECT

Daniel:ねえ、パリと東京、君にとって大きな違いは何?

Bruno :最初に思い浮かぶのは、パリのコスモポリタニズムかな。

Daniel:パリのコスモポリタリズム、それは君にとって重要な事?生活しやすいっていう意味かな?

Bruno:長い期間で捉えると、そうかもしれない…。

Daniel:日本で長期間滞在するのは難しい?

Bruno:そう。僕が思うに日本と言う国はフランスよりもずっと外国人に対する「同化力」がないと思う。もちろんフランスでも人種差別は存在するけど、外国人が同化しながら生きていく可能性は日本より沢山ある。まぁ僕もそれほど長く住んでいるわけじゃないから、本当のところは判らないけど。

Daniel:ちょっと違う見方をしてみようか。ここ東京に暮らしていて、パリを恋しく思ったりする事はある?

Bruno :それはない、僕はここが好きだよ。

Daniel:僕はあるテーマ、<夢>について追求しているんだ。人々は皆…気がついていてもそうでなくても…自分の奥深くに大事な夢を所有しているはずだ、と僕は賭けているんだけど、君はどう思う、君の夢はある?

Bruno:うん。きっと僕は子供の頃から何かを持っていたと思う。その「何か」は長い間眠っていたけれど…。今の僕は今までになかった創造力を掴んだと感じる。新しく始めた写真によって呼び起こされた創造性。でもその予感は前からあったかな!子供の頃からアジア的な表現に惹かれていたと言えるかもしれない。でも、大人になるにつれて多くのアーティストたちに出会うとね、彼らは日常がアートそのもので、表現する事がまるで義務みたいな生き方をしている。でも僕はどうだろう。僕はまず他を試して、その後違う事を始めた。以前の僕はアーティスト的な感覚はもともとあったかもしれないけど、芸術家ではなかった。でも今は写真があるお陰でクリエイティブなアイデアが沢山沸いてくるよ。

Daniel:写真をやってる時、撮ってる時じゃなくて、その後の話なんだけど、作品を見られる事について考える?見た人が何を感じるのかとか、思ったりする?

Bruno:時々、少しだけ考える事もあるね。でも大抵それはあんまりいい傾向じゃないな!もし写真の前に立って、人々の反応を投影しちゃう場合はその写真が気に入らないって事!逆にその写真が自分から話しかけて来たら、外からの余計な雑音はない。自分に確信を持てるし、写真は作品として成り立っていく。この写真は気に入られるだろうか…なんて考えてしまう場合は、その写真は自分らしくないという事になるんだ。僕の全然知らない誰かがどんな反応するんだろうと思う事自体、その写真と僕はすでに距離があるって事でしょ!だからその場合は僕とその作品はコネクションが弱いって事になるね。

SALARYMAN PROJECT

Daniel:公共の場での写真撮影を断られた事ってある?

Bruno:稀にあるけど、一般的に人々、特にサラリーマン達はとっても疲れている。疲れと忙しさ。大体どちらかなんだよね。彼らは通り過ぎていく人々。

Daniel:じゃあ君は彼らにとって透明人間みたいな存在かな。

Bruno:例えば、花々が正面でその後ろにサラリーマンが写りこんでいる写真がある。その場合、僕は花を撮影する写真家に過ぎないわけ!写真を始めた頃ね、ストリートフォトグラフィーというものに僕はすごく興味を持った。フランスでは少なくなってしまったけど。今は、肖像権の問題で公共の場で写真を撮影する事は難しくなってしまったよね。僕はそういう写真に興味があったけど、群集の中に入って近づいて写真を撮るなんて…僕には不可能!でも新機能カメラは小さくてシャッター音も少ないし、方向調節だって利く。そこに僕は新しい可能性を見出したんだ。

実は「サラリーマンプロジェクト」には、写る人々のアイデンティティーを消すというルールがある。20年前には存在しなかった肖像権への対策さ!

Daniel:でもそのおかげで、より作品として機能してると思うよ!もし写真に顔が写っていたら、印象が薄くなると思うな…

Bruno :実は最初、法に挑戦するってのが僕のモチベーションだったんだ。「もし人々を写してはいけないんだったら結果はこうなりますよ」っていう僕なりの問題提起。

Daniel :う~~~んなるほど!

Bruno:その後このやり方が自分の写真表現だと気がついた。顔が見えてしまっては生まれないスタイル…。顔が写ると、その人物の写真でしかないでしょ!でももし写らない場合、もちろんそれは僕以外の人物でもあるし、様々な登場人物として表現出来ると考えたんだ。

Daniel:ネガを公開した事はある?サラリーマンたちの反応はどうだった?

Bruno :うん、写真を展示した事がある。その時ある人が「自分はあなたの写真が好きで、特にこの写真が気に入った。何故ならこの写真を見ると、これはもしかして自分じゃないかと思うから」って僕に言ったんだ!ピンク色に写った運河の写真なんだけどね。

Daniel:え?本当に彼に起きた事だと?

Bruno:そう言ったんだ。本当かどうかはわからないけど、とにかく仕事への重圧感から、写真の様な状況になってしまったのではないかと僕は思う。僕は嬉しかったなぁ!彼は他にも、写真を撮る場所によって人々の緊張感が違って来るはずだと言った。会社から出たばかりの人々は緊張が強いし、同じ人物を違う場所、例えば会社から離れた界隈で撮影すれば、もっとリラックスしているはずだと。彼は本当に沢山の、僕が考えもしなかったような考えを語ってくれた。彼自身もサラリーマンだった。彼以外にも、僕はこの展示を通じて沢山の貴重な意見交換を得たよ。

SALARYMAN PROJECT

Daniel:広い意味でなんだけど、アーティストには責任ってあると思う?
伝えるべき任務があるかな?

Bruno:ない、と言いたいね。ない方がいい。作品は結果だから。責任なんて言われてしまうと…居心地悪い。だって芸術活動は自身の探求でしょ、もし社会との関わりとか政治とかそんな方向に向ってしまうと…。とにかく僕の場合は責任なんて言葉は使いたくない。責任があるとすれば、僕の好みを表現して、ほら、これだ!っていう自分への責任かな。もし心の底から表現出来れば結果はついてくるし、誰かの目に留まるはず。美しさへの責任はあるけど、社会的なニュアンスはない。

Daniel:責任がなかった事にしてるのかな、それとも責任を持ちたくない?

Bruno:いや、違うよ。見ないふりだって?僕には当てはまらないな。他の言い方をすれば、アーティストも一般市民と同じように責任はある、でもそれ以上でもそれ以下でもないって事。

Daniel:僕たちはどんな時に夢を失うだろう?みんなと同じように暮らして、社会のリズムに合わせて生活する結果、夢を忘れ自分を見失うだろうか?アーティストであるのは自分らしさを見失わないため?

Bruno :わからない。例えば、ある会社の社長はどうだろう?もしその仕事が本当に彼の夢であり実現したい事だったら、彼は自分らしく地に足付けて生きていると言えるだろうね。

Daniel:君は何か前もって引かれた道を進んでいると思う?それとも全くあやふやなもの?

Bruno :何かに導かれているように感じるかな、でも前もってという感覚はない。写真は僕にとって、自分の道に戻ったと感じさせてくれるものだった。若い頃に失いかけた表現欲との再会と言うか。

SALARYMAN PROJECT

Daniel:最後になるけど、君が影響を受けたと言う日本人の写真家について話してもらえるかな。

Bruno:写真家の森山大道(もりやま だいどう)。彼は60年代初期から活動を始めた人。多くの若者がそうであるように、彼もまた若い頃は「規則破り」をしたかった。例えば、被写体のない写真とか広告ポスターを撮ったり。ポスターってすでに画像だから、何故そんなものを撮るのか当時の人々は理解出来なかったんだ!東京の色々な街で撮影したものも多い。

白黒写真でとてもコントラストの強い出し方をしてて、ちょっと暗い印象を与える。彼が街で写真を撮っている姿を追いかけたドキュメンタリーも見た。これは僕にとって天啓だったね!街中に作品が溢れている。例えばスカートを穿いた若い女性に近づいて、小さなカメラで、そっと撮る、でも狙いは付けない、ちょっとした隠し撮りみたいな感じ。あぁこんな風に出来るじゃないかって思った。彼は国際的に知られた日本人写真家の1人。小さなカメラと共に街を歩き回ってこっそり撮る。なんて素敵なんだろう!(笑)

BRUNO QUINQUET

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