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GYOHEI ZAITSU
UNE INTERVIEW EXCLUSIVE réalisée par daNIel le 30/03/2012 à la Maison des Associations du 4ème ) à Paris. TRADUCTION JAPONAISE MAKI WATANABE

GYOHEI ZAITSU

ダニエル: ご出身は日本のどこですか?どのようにして、フランスに来られる事になったのですか?

暁平: 生まれは東京です。20歳まで東京で育ちました。何故、フランスに来る事になったか、、、高校生の時、大好きな書道の先生がいました。ある日、その先生が、私に、夢を打ち明けてくれました。
’’いつか、書道と水墨画の展覧会をするために、フランスに行きたい’’
という夢でした。そして先生は、’’フランスの画廊に働きかけるために、フランス語を学びたい’’ とも思っていました。
当時、先生はすでに少し高齢であり、私は、先生がその夢を実現するのは、その年齢のために簡単ではないだろう、と思いました。
その頃、私には自分の人生に特に具体的な計画がなかったので、’’私が先生の代わりにフランス語を学び、フランスに行って画廊を探そう’’と提案しました。

私は、あまりよく考えずに、瞬時に言いました。先生は、とても喜んで、翌日にはフランスの地図を持って来て、’’さあ、どこで展覧会をしようか?’’(笑)と。私はまだ、一言もフランス語を話せないのに、です!(笑)

それで、週に2回、学校でフランス語の授業を受けました。アルバイトをしながら。時は過ぎていきましたが、フランス語はなかなか進みませんでした。
当時、19歳だったと思いますが、たくさん困惑を抱えていました。
それで、ある日、自分の人生でやりたい事を全部、一枚の紙に書く事にしました。
寿司をたくさん食べる、、、踊る、、、映画を作る、、、世界を旅する、、、200以上の願いがありました。小さい夢から大きい夢まで。その紙の前で、私はとても困惑していました。
父親を呼んで、その紙を見せ、聞きました。’’どう思う?’’
父は、ひとつひとつの願いを、時間をかけて見ていました。父の前で、長い間待った事を覚えています。
父は言いました。’’このリストの中で、一つだけ、興味がある。何故なら、それは、君自身のためだけではなくて、実現したいと思っている事だ:’’フランスに行って、書道の展覧会を企画する。’’
そして父は言いました。’’東京ーパリ間の旅費は助けられる、それから一年間は費用を出せるよ’’
早速、私はパスポートを取りに行きました(笑)。

ダニエル : お父さんの反応は、素晴らしいですね。アーティストの家系ですか?

暁平 : はい、少し。両親は、日本の美術大学で出会いました。父は建築家で、母はスタンダードジャズを、お客さんの前で歌います。

ダニエル:なるほど、ご両親の感受性が理解できます。それでは、踊りは、どのように、あなたの心に存在するようになったのでしょうか?

暁平:私にとって、’’踊り’’という言葉になったのは、後になってからです。最初の最初の頃は、むしろ、’’行動’’でした。友人達と、即興的なものや、振付けのようなものをやっていました。友達の間での遊びだったり、女の子達の気を引くためだったりしました。当時は、路上でたくさんやっていました。ハプニングのようなものを。踊りについて話した事もなかったし、アートやスペクタクルについて話す事もなかったです!

ある日、少しおかしなダンス演劇の公演を見る機会があって、興味を持ちました。その劇団がワークショップをしていたので、参加しました。ワークショップの最後に、劇団の一員にならないかと提案されました。15歳、16歳くらいの頃です。それから、路上でマイムのグループに出会い、彼らに教わりました。たくさんのプロの方達との出会いがありました。でも私の人生の目的、というものではありませんでした。一場面、楽しみ、というだけでした。

ダニエル:その頃、将来の目標がありましたか?それとも霧の中にいましたか?

暁平:たくさんの霧の中にいたと思います。そして、切迫していました。よく路上にいました。高校に行くのをやめていました。学校の意味がわからなくなっていました。路上でいろいろな事をやろうとしました。自分の疑問への答えを探して、ヤクザ、娼婦、浮浪者、様々な環境の人々と出会う必要がありました。
緊急でした。大人達が生きるのを見ながら、どうしてそのように振る舞うのか、どうして歩くのか、喋るのか、そのように働くのか、分からなかった。私も、あのように生きなければならないのだろうか?私の中の何かが、’’No’’と言っていました。

ダニエル:フランスに到着した時、学生ヴィザを持って、ピレネーのポーに向かったと言っていましたね。

暁平:ポーには、一年間弱、滞在しました。ある日、ペリギュー市でマイムフェスティバルがあり、路上パフォーマンスするために行きました。そこで、若い新聞記者さんと出会い、彼女から私についての記事を書きたいと申し出を受け、何故フランスに来たか、書道の先生の話、等々、、、何とか、フランス語で説明しました。記事が新聞に出た翌日、記事を読んだペリギュー市長さんから私に連絡が来ました。市長は、書道の展覧会を開催したい、と!
それで、日本にいる先生に電話したのです。先生はとても喜びました。

ダニエル:展覧会は行われたのですか?先生はフランスに来られたのですか?

暁平:はい。二つの展覧会が、ペリギューで同時開催されました。書道展と、水墨画展が、二つの場所で。町の中に、大きな看板で、先生の名前と作品が宣伝されました!

ダニエル:一人の人の夢を叶えたんだね!

暁平:展覧会は1ヶ月、続きました。最初はやりたくなかったのですが、私が通訳の役を受け持ちました。良い通訳を見つけようと言ったのですが、先生は私にやってほしい、と!’’君がフランス語をうまく喋れなくても、君にやってほしい’’。
私にとっては、とても難しい試練でした(笑)!広報、画廊とのやりとりを毎日受け持ち、本当に疲れました。展覧会によって、多くの先生の作品が売れました。けれど、先生はお金に興味がなく、全部私に残して行きました。

ダニエル:全部? あなたの人生は、妖精の奇妙な物語だ!

暁平:その頃、私はとても貧乏だったのです。だから先生のお陰でフランスでの人生を始められたのです。

ダニエル:それでは、舞踏は、どのようにあなたの人生で始まったのですか?

暁平:初めて舞踏を見たのは、テレビでした。子供の頃、山海塾の舞踏を。それから10代の頃に舞踏公演を観ましたが、やってみたいとは思いませんでした。その後、ダニエルシュミット監督の映画で、大野一雄さんの場面を見ました。その印象は、私の奥底に刻まれ、残りました。その頃、独りで路上で、即興を始めていました。自分の中に、名前のつけられない衝動があり、どのように扱ったらいいかわからなかった。当時私が出会う事ができた、どの肉体表現の形態も、自分の中に在るものと一致しなかった。即興を続けていく内に、肉体のしくみに、どんどん疑問、感心が出て来た。そしてある日、ある舞踏家に出会い、しばらくの間、教わりました。特に、踊りの後、一緒に飲み、話しをしました。たくさんの質問をし、本当にたくさんの、自分にとって面白い話を聞きました。この交流が、様々な踊り手と出会って、学びたい、という気持ちをかき立てました。土方さんと交流があった方々とも出会いました。舞踏という踊りの影響は、私の探求の中で、とても強く存在するようになり、私の仕事を、’’舞踏’’と呼ぶように決めました。

ダニエル:ヨーロッパでは、この踊りの形態に感心をもつ人々が増えていると感じます。あなたの考えでは、どうしてだと思いますか?日本ではどうでしょうか?

暁平:ある意味で、ヨーロッパの社会で欠けているもの、につながるのだと思います。日本では、今日、舞踏はあまり知られていません。60年代、70年代の頃は、土方さんがとても活発で、土方さんの持つ大きなカリスマが、人々を惹き付けていました。文化的、知的分野で閉じこもっていたものに、小さな動きを誕生させました。土方さんが亡くなられ、その後、舞踏団の踊り手達は、仕事を続けましたが、にも関わらず、無名な存在になっていきました。今日、多くの日本の若者は、舞踏という名前さえ、知りません。

GYOHEI ZAITSU

ダニエル:テレピでは、舞踏公演は放映されないのですか?

暁平:されません。稀に、です!大野一雄さんの公演がテレビで放映されました。けれど、とても珍しいことです。大野さんが亡くなられた事に、少しメディアが感心を向けました。大野さんは100歳を超えられていました。100歳を超えて、車椅子で、踊り続けた踊り手!メディアは興味を持ちました。

ダニエル:舞踏のワークショップをされる時、生徒さん達から主に、どんな感想、意見、解釈がありますか?

暁平:とても様々です。まず踊る必要性の事ですね。それから、世界や人生、身体についての彼らの見方を変えたい、という思いがあるように思います。けれども、哲学的な見地からではなくて!頭脳を使いながら、ではなくてです!多くの人にとって、頭で各々の問題を解決しようとするのは、もうたくさんなんです。身体の動きでやるのです。

私にとって、舞踏という踊りは、何かの問題を解決するものではありませんが、むしろ、分からない事を、一杯に踊る事です。問いを表現するのではなくて、肉体で、問いを踊る事です。生きるという中で、一番大事な問いを、です。私にとっては、祈りに近いものでしょうか。宗教でなくても。

ダニエル:祈りは宗教ではない、と言いたくなりますが、、、

暁平:もちろんです。けれど、’’祈り’’という言葉は、宗教的なものを思わせます。舞踏は宗教ではありません。

ダニエル:今まで、他の種類の踊りをする機会はありましたか?

暁平:稽古をともなう正式な方法では、他の踊りを学んだ事はありません。でも、様々な踊りを少しずつ、一度ずつだけ、やってみました!ヒップホップを一度だけ、アフリカダンスを一度だけ、コンテンポラリーダンスを一度だけ、カッポエラ、アクロバット、、、

同時に、日本の伝統の事を思うと、武術、能、歌舞伎、茶道、、、。それらの分野を自分なりの方法で勉強してみると、それらの間に、一つの共通したものを感じました。肉体的な面で、です。この共通したものに、私はとてもとても興味を持っています。普通は、そこに到達するためには、どの伝統分野においても長い修練を要します。私が、それらの道の一つを歩んでいない事は、残念です。ですが、伝統の道にいないのであれば、それでも、自らの方法で、その平行にある道を修行するのです。たとえ、自分の方法が不器用なものでも!

ダニエル:不器用?

暁平:そう、例えば、キノコ。山の中に、たくさんのキノコがある、けれど、知らないキノコで、食べてしまう。ひょっとしたら死んでしまうかもしれない。美味しいかもしれない。幻覚を起こすかもしれない、、、、けれども、幸運な事に、多くの人々がすでにキノコを食べており、美味しいものや調理法について、情報を残してくれている、、、、
私の方法は、もっと不器用で、私の周りにキノコが一杯あり、自分にとって美味しいものを選ぶために、自分の勘の力や生命力を信じようとしています。私の道は不器用で原始的ですが、伝統とつながっています。

ダニエル:先生につく事、を必要とした事はないのですか?

暁平:20歳から30歳の間、本当に’’先生’’を切望していました!誰か一人の人につきたい、と思っていました。けれど奇妙な事に、ずっと留まりたいと思う一人の先生に出会う事はできませんでした。大好きな大野一雄さんの所にも、留まる事はできませんでした。大野さんの教えを、私は、’’自分の動きは自分自身で見つけなくてはいけない、他のところからではなく。’’ というメッセージとして受け取りました。

私は先生を探しました。出会いたかった、けれど誰も、、、、だんだんと、全てのものが先生であり、どんな動物も、どんな物も、どんな自然現象も、身体の現象も、肝臓も、胃も、何かを教えてくれる、と気付くようになりました。それが聞こえるか、聞こえないかだと、、、、

ダニエル:あなたの踊りについて話したいと思います。踊りはじめる時、時間の概念というのは、どのようなものでしょうか?身体が動き出して、踊りはじめると共に、あなたの思考は、過ぎて行く時間を測るのでしょうか?踊る間、過ぎる時間を測っていますか?

暁平:その質問には、たくさんの事が含まれています、、、数字での時間、一秒、一分、、、そして、踊りの時間、が在ります。この二つの時間は、よく、ずれています。それから、公演時間というもの、、時には、イベント企画者が、公演時間を決めてきます。けれど路上で踊る時は、誰も、どのくらい踊らなければいけないと言いません。

例えば、一昨日、路上で踊った時、踊り始める前から、長く踊りたい!と思っていました。人々には、お客さんとしてその場に立ち止まらずに、踊りを通り過ぎて行ってほしいとも、、そんな思いがありました。けれど、踊り始めるとすぐに、私の周りに円が作られ、人々が居座ったのを感じた。これは、私にはとても面白い事で、この影響は、踊り始める時の気持ちより強かった。だから、踊って、そして、最後を感じた時に、やめました。踊りの中には、たくさんの終わりがあります、、、

ダニエル:つまり、あなたが終わりを感じる瞬間が、たくさんあるという事ですか?

暁平:はい、何かの終わり、、、

ダニエル:あー、それはとても興味があります!何かの終わり、、、その’‘何か’’というのは何でしょうか?

暁平:(笑)少し曖昧な言葉ですね、でも、エネルギーについて話しましょう。上がるエネルギー、そして落ちるエネルギー!私達は、波の底辺を感じることができます。人間として、始まりと終わりを感じれる。それは本当に、私達の運命です、、、

ダニエル:面白いね!

暁平:哲学的にもちろん、全ての物について始まりも終わりもないと言えるかもしれません。踊りについて言えば、もしかしたら生まれる前から始まって、死んだ後も続くのかもしれない、公演を終えても、踊りは続いている!そう言える!けれど、にもかかわらず、私達はこの始まりと終わりの感覚を持っている。

GYOHEI ZAITSU

ダニエル:つまり、哲学で、それを信じようとはできるけれども、私達の中の何かが嘘をつけなくて、始まりと終わりの概念に直面していると思い出されるという事?

暁平:はい。けれど、特に、私達は始まりと終わりを必要としていると思います。たとえ間違いであっても、たとえ一時的であっても、、、

ダニエル:ミュージシャンに伴われて踊る時、あなた自身の内部の音楽は、ミュージシャンの音楽によって乱されるのか、知りたいです。どのように、関係が作られるのでしょうか?

暁平:それはコミュニケーションの大きな問題です。私は、音楽の楽器のように自分の身体を扱う傾向があります。でも、何はともあれ、音楽があったら、影響されます。どんな音楽も、雑音、音、、、全部影響します、程度の差はあっても。

時には、もっと音楽の近くにいたいと感じますし、時には遠くに離れていたいと思います!とても不思議な事です。

そして、確かに、身体の内部の音楽があります。聞こえない音楽。他の人々には聞こえない音楽、でも踊り手の身体が’’開いて’’いれば、見ることが出来ます。この内部の音楽の密度が強いと、外部の音楽から簡単に影響を受けないし、影響されても、統合の形をとります。

ダニエル:踊る時、自分自身で、’’僕は今、嘘をついている、やっている事は嘘だ’’と、自分に言う事は、ありますか?

暁平:(笑)それも大きな質問です!多分、ずれの話をしたいのだと思うのだけれど。私が本当に感じている事と、私の身体が行っている動き、の間のずれ。はい。もちろんです。踊りの中で、時に、動きながら、隣に居ると感じる、、、もしくは、ある真実を隠すために動くこともある、、、とても不思議な事です、真実は何か、は本当には分からない。一瞬一瞬が、とてつもなく変わり易い。だから、時に、ずれていると感じながら、踊り続けながら、一瞬一瞬、どうしたらこのずれを解消できるかと、嘘をつき続けないために、、、奇妙です、でも時には、この真実に到達するために、大きな嘘から始めた方がいい!私達は、真実にとても執着して、それに近付こうとするので、見えるものは、ただ哲学的や概念的なものであってしまう。全て、定義するのは難しく、不思議なのです。

ダニエル:定義できない、、、KIKOERU ? のインタビューの仕事において、テーマとなるのは、まさにそこです。私は、その定義できない、を’’夢’’と呼ぶ事にしました。あなたが、私達は夢によって導かれている、と思うか知りたいです。人がそれぞれ、アーティストであってもなくても、自分の奥底に持っている夢、、、私達に聞こえてもらおうとしている夢、、、

暁平:あなたが言っている事は、’’メッセージ’’を思わせます。踊り手として、ずっと以前から私の中にある問題です。私の身体は、メッセージを持っているのだろうか。たとえ、それは夢でなくても。私が踊り、動きをつくる、私の身体は何を言おうとしているのだろう?それは、私にとって、とても大きな疑問です。答えはまだありません。私は、ただの知的な遊びとしては、踊りをやりたくない。’’夢’’という言葉を使うのであれば、私の身体は何を夢見ているのだろう?私達が夢について話す時、それは共通の夢の事なのだろうか、それとも個人の夢の事なのか?もし、個人の夢について話すのであれば、’’それは、この身体だから、この夢を持っている’’。もしかしたら、この夢は、この生物の、唯一の夢かもしれない。
個人的に、今、私は人生で、新しい夢を見たいと思っています。

GYOHEI ZAITSU

ダニエル:見る、それとも持つ?

暁平:見ると、持つ、両方です。

ダニエル:その欲求はどこから来ますか?不足から?

暁平:不足から、はい。最近の日々、私は以前に持っていた数々の夢を見ようとしています。過去の人生において、とても大事だった夢達を。それらの夢と私の間に、今、ずれがあると感じます。私と、もう繋がりがない。でも、あなたが話したい夢の事なのか分かりません、、、

ダニエル:私達が夢という言葉を使う時、奥底では、何について話しているかわかっているだろうか?何か別の単語を提案できるだろうか?思いつきますか?

暁平:こんな風に表現したら、どうでしょうか?:’’私の目が、世界を私に見せる時、私は自分が夢を見ている、と知っている’’ 世界を見る、人生を見る、木を見る、とそれは、すぐ、夢の事だ。

ダニエル:それは、思考と、頭脳の構築ではないか?

暁平:はい、頭脳は夢をみると思う、けれど頭脳だけではない、皮膚は夢をみる、骨は夢をみる、細胞は夢をみる、、、

ダニエル:それらは何を夢みている?私達を利用しながら夢をみている何か、と言えるでしょうか?

暁平:言えるかも知れません、、、神道のある宮司が語っていた話を思わせます:’’ 天地創造以前、宇宙には何も無かった。けれど、心があった。何故なら、心がなかったら、何も生まれることはできない。何も無かったが、心はあった。’’ 私は、この考えが好きです。そして彼はこうも言っています。’’ 天地は、人間が誕生する為に、創造主によって作られた。その人間たちが心を感じる為に。その心を感じる人間がいなかったら、創造主はとてもかなしいであろう。" 

財津暁平氏へのインタビュー
(2012年3月30日パリ4区La Maison des associationにて)

GYOHEI ZAITSU

 

 

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Ichi Go Ichi E spectacle de l'Association Katatsumuri le 15/11/2012
au Théâtre de Verre Paris 18ème

Danse Butô : Gyohei ZAITSU
Percussions : Makoto SATO
Saxo, flûte et conques : Jef SICARD
Installation/ projections : Luis PASINA

Film :Rêvo (revocine@live.fr)

NIHONGO
VERSION FRANCAISE VERSION FRANCAISE
LOGO KATATSU 2015
la trace