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TAKAHIRO HIKIYAMA
UNE INTERVIEW EXCLUSIVE réalisée par daNIel le 18/09/2009 à Asagaya - Tokyo.

TRADUCTION JAPONAISE : HARUMI SUZUKI

HIKIYAMA TAKAHIRO

代々木公園。日曜の午後、散歩やピクニックを楽しむ人々の中、エネルギッシュかつ軽やかに、ユーモアを交えて動きまわるダンスグループがいる。 木々の下で繰り広げられるヒップホップダンス、男女ダンサーたちの顔に光る汗粒…。彼らの夢、それがこんなにも均整の取れた身体を与えるのだろか?

振付師の引山貴大(ひきやま・たかひろ)氏に話を聞いた。

ダニエル(以下Daniel):君の事をいくつかの言葉で紹介してもらえる?

貴大(以下Takahiro):僕の名前は引山貴大。職業はダンサーとダンスの教師をしている。生徒は結構沢山いて…、で、今はこのインタビューのために一時中断中(笑)。

aniel:君は東京生まれ?

akahiro:滋賀県生まれ。日本一大きい湖、琵琶湖のある県だよ。

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aniel:どんな経緯で東京に来たの?

akahiro:5歳の時に東京に越して来た後、8歳から15歳までは香港にいた。その後東京住まいに戻ったってわけ。.................................

aniel:アーティストとしての人生を決意したのはいつ?

akahiro:ダンスを始めたのは19歳、大学に入ってから。兄が前から踊りをやっていて、その影響を受けたんだ。

aniel:プロのアーティストとして生きていくきっかけとして、何か特別な出来事があったのかな?

akahiro:僕は大学の理学部に入ったんだけど、すでに2年目でダンスの方が好きだって分ってしまった。そこからプロを目指して訓練を始めたんだ。

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aniel:家族の反対はなかった?君の家族にもアーティストがいるのかい?

akahiro:アーティストとは縁の無い家族だよ。という訳で、2年目にして僕は大学を中退したんだけど、もちろん両親はものすごく怒ったさ!..................................

aniel:じゃあ大学を辞めてからは、ダンスを続けるために自立しなければいけなかったわけだね…。

akahiro:アルバイトをしたよ。朝早くから夜まで働いた後に、夜中までダンスを練習する日々だった。

aniel:僕らが出会った時、君は代々木公園で生徒たちとリハーサル中だったよね。僕は君の生徒たちにもすごく興味があるなぁ。彼らはどこからやって来るの?彼らのダンスへのモチベーションって何かな?

akahiro:僕の生徒たちはあっちこっちからやって来るよ。学生もいるし、サラリーマンもいる。すでにヒップホップに通じてるメンバーもいれば、好奇心から始めた初心者もいる。その後趣味で続ける事になったりね。

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aniel:君は日本人にダンスを教え、アメリカやフランスへ旅行した際も同じ活動をしたようだね。そして色んなダンサーに出会った…。日本だけでなくフランスでも活動する理由を、君はどんな風に考えているか知りたいな。2つの異なった活動にはどんな共通点や違いがある?

akahiro:まず始めに、僕はフランスやアメリカでダンスを教えた経験はない事を断っておくよ。現地で踊った経験はあるけどね。僕の仕事の大半は日本さ。生徒たちは色んな国籍がいるよ。日本人、アメリカ人、韓国人、フランス人などだね。

もしフランスと日本の違いをどうしても言わなければならないとすれば、日本でのダンスはどちらかと言うとスポーツ的に捉えられるのに対して、フランスではダンスとは見せるものであり美しさにまず重きを置く傾向があると思う。...............................

aniel:君はパリ滞在の際、ヒップホップの世界選手権に参加して優勝したよね。その事がその後のダンス人生に変化をもたらせたと思う?フランスのダンサーたちに何か影響を与えただろうか?君たちの間に交流はあった?

akahiro:僕は1週間しかパリにいなかったから、フランスのダンスやダンサーたちについて何か言うべきではないかもしれない。あえて言えば、フランス人ダンサーたちは舞台コンセプトがすごくしっかりしていると感じたなぁ。フランスでは衣装や舞台効果はアートとして必須で、その辺りは日本はまだ弱い部分ではないかと思う。

僕にとってフランス人ダンサー達との出会いは、ダンスへの教養をより深めてくれた。彼らの踊るダンスは、フランス文化を映し出す鏡なんじゃないかと気がついたんだ。絵画やモードなどが土台となって…それらがダンスをより豊かにしている。

日本に戻ってから、僕は自分の人生と向き合った。外国からやってきたダンスをただ真似するんじゃなくて、自分だけのスタイルを見つけるために。
ストリートダンスの土台や振り付けはアメリカの黒人が発祥したものだ。日本のヒップホップは土台に近いアカデミックな形へ仕上げる傾向が強いけど、フランスでは基本からはみ出す試みが見られる。それは僕にとってとても興味深いものだったんだ!

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aniel :僕が思うにフランスと日本の交流は、まさにその2つの視点がキーワードな気がするよ。基本に忠実に習得する事と、基本にとらわれず習得する事と…。

akahiro:個人的に僕は、ストリートダンスとはクラシックダンスなどのアカデミックなものとは正反対に位置すると思っているんだ。基本を否定こそしないけどそこから離れる事に意味がある。ストリートダンスは、そのズレを気づかせてくれる。................................

aniel:今の君の人生は、自分で夢見た人生に近い?

akahiro:ハッキリとした夢なんかなかったけど…ダンス教師や、チャンピオンになる夢なんて見たことないし!今言えるのは、これこそ自分の人生だ!ってことかな。

aniel:でもさ、人はみな夢を持っていると思わない?どうしても実現したい、とても重要でたった1つだけの夢…。

akahiro:もう一度言うけど、夢は持ってなかったよ…。でも…(笑)ダンサーになりたかったし、有名になってダンスで生活していけるようになりたかった事は確かだな(笑)。そういう願いはあった。でもそれらを夢と名付けるかどうかわからない。

aniel:君の考えていた事は、もしかして単なる欲求だった?

akahiro:そうかもしれないな…

aniel:人間みんな、欲求によって支配されがちだと僕はよく思うのだけど、でもそれとは別に、どこか自分自身の奥深くに、たった1つの夢を持っていると思わない?

akahiro:一般論で語れないと思うな。夢をたった1つだけ持つ人もいれば、複数の人もいるだろうし。

aniel:アーティストは何をするのも許されて、自由に、したいように表現していいものだと思う?

akahiro:思わないな。

aniel:それは、アーティストとして自分の表現に責任があるって意味に捉えることが出来る?

akahiro:うん。責任とか、アーティストの自由とか、難しい質問だね。アーティストは何をしても許されるって事はないけど、活動に終わりはないしリミットも作りたくない。自由ってもっと他の意味も含むと思う。

aniel:どんどん続けて!とても興味深い(笑)。

akahiro:僕は沢山の、アメリカ人やフランス人ダンサーに出会う機会がある。それが僕には貴重な経験だ。彼らから受ける影響が、幅を広げていくんだ!もし影響されずにいたら、僕の自由にはリミットがあっただろうと思う。

aniel:僕にとって今後よく考えてみたい話題だ(笑)。多くの人に出会う事で、僕も自分の自由を広げられるかな?

akahiro:もしかしたら2つの自由を分けて考えた方がいいのかもしれない…1つは芸術表現の自由、2つ目は社会での自由…。今思ったんだけど、もし僕の表現世界に制限があったとしても、多くの出会いや影響によって幅を広げる事が出来る。

aniel:芸術表現の自由と社会生活での表現自由、なかなか興味深いね…。フランスでは多くの芸術家がその2つを楽々とまぜこぜにして生きていると僕は思う。
インタビューの最後になるけど、もう1つだけ。君にとって、生き生きしている人とはどんな意味だと思う?

akahiro:(笑)生き生きしてる人?生き生きねぇ…なんだろう、他の人にも活力を与える人のことかな?

aniel:その答えいいね。でもちょっと簡単に答えが出すぎかも(笑)。じゃあ、その反対、生き生きしてない人とは?

akahiro:常に否定的な人!

aniel:(笑)メルシーボク!どうもありがとう!

...............................HIKIYAMA TAKAHIRO

L'interview de Takahiro HIKIYAMA s'est dérouléee le 18 septembre 2009 à ASAGAYA - TOKYO - Traduction française pendant l'entretien : Mle Yoshiko OKADA

Traduction japonaise texte final : Mle Harumi SUZUKI

Les photos présentées sont la propriété de Takahiro HIKIYAMA

Excepté : photos Yoyogi Park et dernière photo portrait : daNIel

 

 

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